女子として、女子の為に、美エロなシーンを求めて生き続けたい
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彼女との出会いは、私が6歳の時。
夏休みのこと。 小学生だった私は、両親が共働きゆえ、夏休みの平日は自営業の祖父母の家に預けられていた。 妹は保育園で、遊び相手もおらず、宿題を猛烈な勢いで片付け、塗り絵をしたりお絵描きをしたり本を読んだり、日がな一日退屈で贅沢な時間を過ごしていた。 ある時、近所で迷い猫を拾った。 半ば強引に祖父母の家で面倒をみた。 茶色い縞のあるオス猫。 その日から日がな1日猫を眺めたりなでたり話しかけたりして過ごした。 でも、数日後に飼い主が見つかり、その猫はもとの家へ引き取られていった。 夏休みが明けても、ねこーねこー!とわめく私に、祖父が猫をもらってきてくれた。 近所の野良猫が生んだという、キジトラの遊び盛りの女の子。 小さな顔に、黄色いつり目。 ツンとした奇麗な顔をした彼女は、首に鈴をつけていた。 学校から猛ダッシュでかけつけた私を、少し緊張しながら見つめつつも、あんまり興味なさそうに階段に座っていた。 なんて可愛い子!!!! 毎週金曜日は、私の家族・従兄弟家族が祖父の家に集まるとう習慣があった。 母が家事をサボれる・祖父母が孫達の顔を見られる日だった。 でもチロが来てから、少なくとも子供達にとっては「チロに会える日」だった。 金曜日学校から帰ると、まずチロを探してなでなでする。 チロにとっては大変迷惑だとは思うが、たくさん遊んだ。 寝ている彼女の上に小銭を1枚づつ気付かれないようにおいていく。 コタツの中で寝ている彼女と、上半身をこたつに突っ込んでするトランプ。 お医者さんごっこ(もちろんチロが手術される)に釣りごっこ(もちろんチロが釣られる)。 勝ち気で野性味あふれる彼女は、狩りの達人でもあった。 ゴキブリなんて日常茶飯事。 名前がよくわからない虫や、蛾をパクッとくわえてくる。 ある時なんて、口からネズミのしっぽがちょろーんと出ていたこともある。 コウモリを間近に観察できたのは、彼女がコウモリを捕まえてきたからである。 いつもチロと遊んであげる、というより遊んでもらうという立場だった。 猫というのは構われすぎると鬱陶しく思う生き物で、子供達は安心して甘えられる存在ではなかった。 だからいつも、仕方なく付き合ってやっているという顔をしていたし、いきすぎると容赦なく引っ掻かれる。 血をだらだら流しながらも、私たちは皆チロが大好きだった。 あるとき、私がインフルエンザにかかり、学校を休んだ。 そういう場合も、母は仕事に出かけ私は祖父母の家に預けられる。 風邪や腹痛くらいなら、休みだ休みだとはしゃいでいた私も、この日は死んでいた。 昼間から延々、居間で座布団を枕にうつらうつらしていた。 少し遠くで祖父母が仕事をする音が聞こえる。 ふと気がつくと、私のすぐ隣、寄り添うように彼女が寝ていた。 私は驚いた。 チロが私の側で寝ている。 膝の上に乗せても、すぐ飛んでいってしまう彼女。 子供達は面倒くさいと思っているらしく、熟睡するのはいつも人気がない自分だけの場所。 そんな彼女の気持ち良さそうな寝顔を観察しながら、なんとも幸せな気持ちになった。 押し付けた時点で愛情は愛情でなくなる。 相手が喜ぶことを汲み取って、してあげるのが愛情なのだ。 子供ながらにそんなことを感じた。 いや、そこまで難しいことを考えたわけではないけど。 それでも、自分がしてあげたいことと、相手がしてもらいたいことは、一緒とは限らないんだと、まじまじと実感した瞬間だった。 彼女はだんだんと歳を取り、行動範囲もだんだんと狭くなり、眠る時間が長くなっていく。 私も大人になり、彼女の嫌がることをしないようになった。 朝、彼女は冷たくなっていた。 命が燃え尽きたのだ。 19年間を通して、幼少期の自分と過ごしてきた彼女に、私は何を教えてもらったのだろう。 そしてこれから何を学んでいくべきなんだろう。 答えはまだまだ見つからないかもしれない。 それでも今、私が捨てられた猫たちの里親になっているのは、彼女の影響が大きいだろう。 命が繋がっていく。 チロへ。 あなたほど素敵で有能な猫は、今も見たことがありません。 100万回の大好きとありがとうを送りたいと思います。 * コメント *
とてもとても長いお話を読んだ気持ちになりました。
涙が零れました。 お久し振りですジュリアさん。 命が尽きる場面に出会うというのは 本当に大切なことだなと思いました。 私も最近、目も開かない子猫を亡くして 激しい喪失感に苛まれましたが ”死んで居なくなってしまった”ことに対して 「悲しい」とか「寂しい」といった表現ではなく 命への愛しさが強まる瞬間だということが わかってきました。 >押し付けた時点で愛情は愛情でなくなる。 相手が喜ぶことを汲み取って、してあげるのが愛情なのだ。 まさに最近学んだことだったので とても良い言葉で表現して下さいました。 手帳に書いておきたい(笑)。 チロが虹の橋を渡って 幸せに過ごせますように。 紗月さn>
わー!お返事遅くなってしまってごめんなさい。 ほんとお久しぶりですね♪ そうですね、身近な人や動物、大切にしていた生き物の死は、とても貴重で素晴らしいものだと思います。 特に人間以外の動物の死は、より純粋というか単純というか、純度が高いように思えるので、素直に生命の素晴らしさを教えてもらえた気がします。 当たり前のことに感謝とか意義を見いだせることって、もしかかしてすごく幸せなのかなぁって。 だから紗月さんも、幸せな体験とは言えなくても、とっても素敵な出会いだったんだと思います。 ぜひ手帳に書いてください(笑)えへへ♪ 小娘の戯れ言ですが!! 悔やみの言葉、ありがとうございます。 http://julia00.blog.2nt.com/tb.php/429-adea901a * トラックバック *
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